助っ人外国人選手列伝 #001
思い出す、あの魔法の左足。マスロバルという幸せな5年間
レッドスターから市原へ。数字を見て、動画を見て、現在まで追いかけると、 記憶の中のマスロバルがさらにすごくなる。
この記事を3行で
- 欧州王者・世界王者になった直後のレッドスターで、最後のシーズンに14得点。 そこからジェフ市原へ来た。
- ジェフで5シーズン、リーグ戦128試合41得点。1998年のナビスコカップでは、 鹿島相手にハットトリックを決めて得点王。
- 引退後もモンテネグロのサッカー界で、監督、クラブ会長、強化責任者として活動している。
思い出す、あの魔法の左足
「マスロバル」と聞いて、最初に何を思い出すだろう。
柔らかいパス。
強烈なシュート。
セットプレー。
そして、やっぱり左足。
ジェフ市原の外国人選手を振り返るとき、マスロバルの名前が出てこないということは、 まずない。詳しい数字まで覚えていなくても、「いや、マスロバルはすごかったよ」 という感覚だけは、かなりはっきり残っている。
調べてみると、その記憶はまったく間違っていなかった。むしろ、思っていた以上にすごかった。
まずは、この左足を見てほしい
1996年4月20日の名古屋戦。Jリーグ30周年のベストゴール候補にも選ばれた一発である。 まずは1分52秒から。
基本プロフィール
- 本名
- ネナド・マスロバル
- 原語表記
- Nenad Maslovar
- 生年月日
- 1967年2月20日
- 出身地
- コトル
- 出生当時の国
- ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
- 現在の国
- モンテネグロ
- ポジション
- ミッドフィールダー
- 身長・体重
- 183cm・74kg
- 代表歴
- ユーゴスラビア代表 3試合
- Jリーグ通算
- 150試合45得点
日本在籍中の国籍表記はユーゴスラビア。現在のモンテネグロにあたるコトルの出身である。
クラブ遍歴
有名クラブだけを抜き出さず、故郷のクラブから日本での最後のクラブまで全部並べる。 こうして見ると、旧ユーゴスラビアの一部リーグを登り、世界一になった直後の名門へたどり着いた流れがよく分かる。
| 在籍年 | クラブ | 当時の国・地域 | カテゴリー | どんなクラブか |
|---|---|---|---|---|
| 1986–1988 | FKボケリ | 旧ユーゴスラビア/現在のモンテネグロ | 旧ユーゴスラビア2部 | 故郷コトルのクラブ。ここからキャリアを始めた。 |
| 1988–1990 | スパルタク・スボティツァ | 旧ユーゴスラビア/現在のセルビア | 旧ユーゴスラビア1部 | 北部スボティツァを代表するクラブ。 |
| 1990–1992 | ヴェレジュ・モスタル | 旧ユーゴスラビア/現在のボスニア・ヘルツェゴビナ | 旧ユーゴスラビア1部 | 国内カップ優勝歴を持つモスタルの強豪。 |
| 1992–1994 | レッドスター・ベオグラード | ユーゴスラビア/現在のセルビア | 国内1部 | 1991年の欧州王者・世界王者。 |
| 1994–1998 | ジェフユナイテッド市原 | 日本 | Jリーグ | 5シーズンでリーグ戦128試合41得点。 |
| 1999 | アビスパ福岡 | 日本 | J1 | 日本での最後のクラブ。22試合4得点。 |
1986–1988
FKボケリ
旧ユーゴスラビア/現在のモンテネグロ
旧ユーゴスラビア2部
故郷コトルのクラブ。ここからキャリアを始めた。
1988–1990
スパルタク・スボティツァ
旧ユーゴスラビア/現在のセルビア
旧ユーゴスラビア1部
北部スボティツァを代表するクラブ。
1990–1992
ヴェレジュ・モスタル
旧ユーゴスラビア/現在のボスニア・ヘルツェゴビナ
旧ユーゴスラビア1部
国内カップ優勝歴を持つモスタルの強豪。
1992–1994
レッドスター・ベオグラード
ユーゴスラビア/現在のセルビア
国内1部
1991年の欧州王者・世界王者。
1994–1998
ジェフユナイテッド市原
日本
Jリーグ
5シーズンでリーグ戦128試合41得点。
1999
アビスパ福岡
日本
J1
日本での最後のクラブ。22試合4得点。
旧ユーゴスラビア時代の初期経歴は、資料によって加入年に1年程度の差がある。 ここではシーズン別出場記録と複数資料が一致する、1988年スパルタク加入・1990年ヴェレジュ加入の表記を採用した。
世界一になったばかりのレッドスターから、市原へ
マスロバルがジェフへ来る前に所属していたのは、レッドスター・ベオグラードだった。 「東欧の名門」という言葉だけでは、そのすごさが伝わらない。
レッドスターは1991年、現在のUEFAチャンピオンズリーグの前身である ヨーロピアン・カップを制覇。同年12月には東京で、南米最高峰の コパ・リベルタドーレスを制したチリの名門コロコロを3対0で破り、世界一になった。
世界一になったばかりのクラブで、年間14点を取ったミッドフィールダー。 そこからジェフ市原へ来た。いま改めて見ると、ジェフはとんでもない選手を連れてきている。
試合の空気ごと、1996年へ
マスロバルだけを切り取った映像ではない。でも、城彰二らとプレーする当時のジェフを、 試合の流れごと見られる。画質も実況も含めて、ちゃんと1996年である。
ジェフ市原での年度別成績
司令塔という紹介だけでは、少し足りない。ゲームを作りながら、自分でもかなり決める10番だった。
| 年 | リーグ戦 | 得点 | リーグカップ | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 1994 | 15 | 4 | 2 | 0 |
| 1995 | 52 | 16 | 大会なし | — |
| 1996 | 17 | 4 | 10 | 3 |
| 1997 | 17 | 9 | 4 | 3 |
| 1998 | 27 | 8 | 6 | 6 |
| 合計 | 128 | 41 | 22 | 12 |
1994
- Jリーグ
- 15試合・4得点
- リーグカップ
- 2試合・0得点
1995
- Jリーグ
- 52試合・16得点
- リーグカップ
- 大会なし
1996
- Jリーグ
- 17試合・4得点
- リーグカップ
- 10試合・3得点
1997
- Jリーグ
- 17試合・9得点
- リーグカップ
- 4試合・3得点
1998
- Jリーグ
- 27試合・8得点
- リーグカップ
- 6試合・6得点
ジェフ通算
- Jリーグ
- 128試合・41得点
- リーグカップ
- 22試合・12得点
魔法の左足は、ちゃんと数字も残している
柔らかいボールも蹴る。強いボールも蹴る。ゴール前へ供給するだけでなく、自分でも奪う。 1995年は52試合16得点、1997年は17試合9得点、1998年のナビスコカップは6試合6得点。
「左足がすごかった」という記憶だけではない。映像も数字も、ちゃんと残っている。
1998年、鹿島相手にハットトリック
1998年7月15日、市原臨海競技場。ナビスコカップ準決勝の相手は、前年王者の鹿島アントラーズだった。 マスロバルはこの試合で3得点。ジェフを決勝へ導いた。
大会通算は6試合6得点。柏の加藤望と並び得点王になった。 鹿島相手にハットトリックして、ナビスコカップ得点王である。やっぱりすごい。
Jリーグ公式の1998年大会回顧を見る ↗この試合の本人確認済み映像は継続調査中。見つかり次第、この章に追加する。
ジェフにいながら、ユーゴスラビア代表へ
1997年には、ジェフ市原でプレーしながらユーゴスラビア代表に選出された。代表通算は3試合。 「元代表選手が日本に来た」のではない。ジェフでプレーしていた選手が、そこから代表に呼ばれた。
これも、改めて考えるとなかなかすごい。
そして、アビスパ福岡へ
ジェフでの5シーズンを終えたマスロバルは、1999年にアビスパ福岡へ移籍。 リーグ戦22試合4得点を記録した。ジェフと福岡を合わせた日本での通算は150試合45得点。
日本で過ごしたのは6シーズン。「一度見かけた外国人」ではなく、90年代のJリーグを構成していた選手だった。
あれから、マスロバル。
1999年を最後に日本を離れたマスロバル。では、今は何をしているのか。せっかくなので調べてみた。
引退後は故郷コトルに近いOFKグルバリで監督やスポーツディレクターを務め、 2018年にはクラブ会長に就任。2021年にはモンテネグロサッカー協会の南部クラブ協会会長に選出された。
さらに2025年末、首都の名門FKブドゥチノスト・ポドゴリツァのスポーツディレクターへ。 ジェフを離れて四半世紀以上たっても、マスロバルはチームを作る側でサッカーに関わっていた。
ジェフ時代の映像を見た直後にこれを見ると、かなりいい。「ああ、マスロバルだ」となる。
改めて見ると、やっぱりすごかった
レッドスターで最後のシーズンに14得点。ジェフで5年間41得点。 鹿島相手にハットトリックして、ナビスコカップ得点王。ジェフ在籍中にユーゴスラビア代表。
マスロバルのことは、もちろん覚えていた。すごい選手だったことも覚えていた。 でも、経歴と数字を並べてみると、思っていた以上にすごかった。
記事を書きながら、結局また動画を見てしまった。あの左足である。
関連リンク
参考文献
- Jリーグ公式データサイト「マスロバル」 ↗
年度別の出場数・得点数、身長、体重、初出場を確認
閲覧日:2026年7月23日 - Jリーグ公式「1998年ナビスコカップ大会回顧」 ↗
鹿島戦のハットトリックと決勝進出を確認
閲覧日:2026年7月23日 - レッドスター・ベオグラード公式「国際タイトル」 ↗
1991年の欧州制覇とトヨタカップ優勝を確認
閲覧日:2026年7月23日 - UEFA公式「1990–91 European Cup」 ↗
ヨーロピアン・カップ優勝記録を確認
閲覧日:2026年7月23日 - モンテネグロサッカー協会南部クラブ協会 ↗
2021年の会長選出を確認
閲覧日:2026年7月23日 - FKブドゥチノスト公式 ↗
2026年のスポーツディレクターとしての活動を確認
閲覧日:2026年7月23日
本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで構成しています。