助っ人外国人選手列伝 #004

白髪の4番は、“白いソクラテス”だった。スコルテンの話

1998年のジェフ市原に、白髪の4番がいた。登録はDF。派手に目立つタイプではなかったが、妙に落ち着いていて、ボールを持っても慌てない。名前はスコルテン。調べてみると、あの4番はアヤックスとフェイエノールトを渡り歩き、オランダで「白いソクラテス」と呼ばれていた選手だった。

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  1. FCデン・ボスからアヤックスへ進み、フェイエノールトを挟んで再びアヤックスへ。オランダの二大名門を往復したミッドフィールダーだった。
  2. ジェフ市原では1997~98年にリーグ戦48試合2得点、リーグカップ6試合2得点。1998年は背番号4をつけた。
  3. 現役引退後は育成年代の指導者へ。2026-27シーズンもフェイエノールトU21のアシスタントコーチを務めている。

1998 / NUMBER 4

白髪の4番、いたいた。

1998年のジェフ市原。背番号4、白髪、長身。スコルテンは、画面の中でもすぐ分かる。

登録はディフェンダーだったが、実際には中盤にも入る。派手にボールを持ち続けるわけではない。それでも、落ち着いている。若い選手が多いチームの中で、明らかに場数が違う。

それもそのはずだった。ジェフに来る前の所属先は、アヤックス。しかも、その前はフェイエノールトである。

DATA

基本プロフィール

本名
アーノルド・スコルテン
原語表記
Arnold Scholten
生年月日
1962年12月5日
出身地
スヘルトーヘンボス(オランダ)
ポジション
ミッドフィールダー/ジェフ登録はディフェンダー
身長・体重
Jリーグ登録 186cm・75kg
ジェフでの背番号
4(1998年)
愛称
“De Witte Socrates”(白いソクラテス)
Jリーグ通算
48試合2得点

まずは、小野伸二のデビュー戦で4番を探す

1998年3月21日、浦和レッズ対ジェフ市原。18歳の小野伸二がJリーグにデビューした試合として残っている映像だ。

ジェフの先発にはマスロバル、ラデ、武藤真一、江尻篤彦。そして背番号4のスコルテン。映像の主役は小野だが、こちらは白髪の4番を追えばいい。

試合は2対3。スコルテンがいたジェフの空気を、90年代らしい映像で確認できる。

アーカイブ映像

1998年開幕戦。Jリーグ公式記録でスコルテンが背番号4のMFとして先発したことを照合済み。

小野伸二18歳 Jリーグデビュー戦 ダイジェスト 浦和レッズ対ジェフ市原
CAREER

クラブ遍歴

年クラブ国・地域当時のカテゴリー/どんなクラブか
1983–1986FCデン・ボスオランダエールディヴィジ(1部)
地元のクラブでセミプロとしてプレー。建設会社で働きながら夕方に練習していたところへ、アヤックスから電話がかかってきた。
1986–1990アヤックスオランダエールディヴィジ(1部)
ヨハン・クライフが率いた時期に加入。国内リーグ、国内カップ、欧州カップウィナーズカップを獲得した。
1990–1995フェイエノールトオランダエールディヴィジ(1部)
1992-93年のリーグ優勝、1992・1994・1995年の国内カップ優勝を経験。ピーター・ボスらと中盤を組んだ。
1995–1997アヤックスオランダエールディヴィジ(1部)
直前に欧州制覇したアヤックスへ復帰。1996年にはチャンピオンズリーグのレンジャーズ戦で決勝点を決めた。
1997–1998ジェフユナイテッド市原日本Jリーグ
リーグ戦48試合2得点、リーグカップ6試合2得点。1998年は背番号4でプレーした。

1983–1986

FCデン・ボス

オランダ

エールディヴィジ(1部)

地元のクラブでセミプロとしてプレー。建設会社で働きながら夕方に練習していたところへ、アヤックスから電話がかかってきた。

1986–1990

アヤックス

オランダ

エールディヴィジ(1部)

ヨハン・クライフが率いた時期に加入。国内リーグ、国内カップ、欧州カップウィナーズカップを獲得した。

1990–1995

フェイエノールト

オランダ

エールディヴィジ(1部)

1992-93年のリーグ優勝、1992・1994・1995年の国内カップ優勝を経験。ピーター・ボスらと中盤を組んだ。

1995–1997

アヤックス

オランダ

エールディヴィジ(1部)

直前に欧州制覇したアヤックスへ復帰。1996年にはチャンピオンズリーグのレンジャーズ戦で決勝点を決めた。

1997–1998

ジェフユナイテッド市原

日本

Jリーグ

リーグ戦48試合2得点、リーグカップ6試合2得点。1998年は背番号4でプレーした。

建設会社から、クライフのアヤックスへ

スコルテンの経歴は、入口から面白い。FCデン・ボス時代はセミプロで、建設会社に勤めながら夕方に練習していた。

そこへ1986年、アヤックスから電話がかかってくる。誘ったのはヨハン・クライフが率いるチームだった。スコルテンは会社を辞め、ダニー・ブリント、ヤン・ボウタースらと同じ夏にアムステルダムへ向かった。

最初のアヤックス在籍で、国内リーグ、国内カップ、欧州カップウィナーズカップを獲得。建設会社の社員が、数か月後には欧州の名門でプレーしている。ここだけでも十分に一杯いける。

愛称は「白いソクラテス」

アヤックス公式が紹介しているスコルテンの愛称は、“De Witte Socrates”。日本語にすれば「白いソクラテス」だ。

哲学者のような白髪と、試合を読む落ち着き。ジェフで見たあの雰囲気に、妙に納得がいく。

こちらではDF登録だったので、まず白髪の外国人DFとして覚えている人もいるはずだ。しかし本国での顔は、アヤックスとフェイエノールトの中盤を渡り歩いた選手だった。

アヤックスからフェイエノールトへ。そして、またアヤックスへ

1990年、スコルテンはアヤックスから最大のライバル、フェイエノールトへ移籍した。

フェイエノールトではピーター・ボス、ロブ・ウィツヘらと中盤を組み、1992-93年のリーグ優勝と3度の国内カップ優勝を経験する。

そして1995年、今度は欧州王者になったばかりのアヤックスへ戻った。オランダの二大名門を、行って、帰っている。日本で言う『古巣の最大のライバルへ移籍し、5年後にまた戻る』である。なかなかできることではない。

アイブロックスを黙らせた一発

1996年10月30日、チャンピオンズリーグのレンジャーズ戦。敵地アイブロックスで決勝点を決めたのがスコルテンだった。

38分、こぼれ球に反応して右足を振り抜く。スコアは0対1。そのままアヤックスが勝ち、スコルテンはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

ジェフに来る前年、チャンピオンズリーグで決勝点を取っている。白いソクラテス、普通にすごい。

アーカイブ映像

アヤックス公式がスコルテンの決勝点とマン・オブ・ザ・マッチ選出を確認している試合。

1996年10月30日 レンジャーズ対アヤックス 0-1
JAPAN

日本での年度別成績

年クラブ大会出場得点補足
1997ジェフユナイテッド市原Jリーグ1507月30日にJリーグ初出場。
1997ジェフユナイテッド市原Jリーグカップ20—
1998ジェフユナイテッド市原Jリーグ3328月8日の横浜マリノス戦で開始3分にJリーグ初得点。
1998ジェフユナイテッド市原Jリーグカップ426月3日にリーグカップ初得点。

1997

Jリーグ

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
15
得点
0

7月30日にJリーグ初出場。

1997

Jリーグカップ

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
2
得点
0

1998

Jリーグ

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
33
得点
2

8月8日の横浜マリノス戦で開始3分にJリーグ初得点。

1998

Jリーグカップ

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
4
得点
2

6月3日にリーグカップ初得点。

ジェフでは48試合。2年目はフル回転

スコルテンは1997年途中にジェフへ加入し、リーグ戦15試合に出場。翌1998年は33試合に出場した。

1998年8月8日の横浜マリノス戦では開始3分にJリーグ初得点。ジェフはそのまま2対1で勝っている。リーグカップでも4試合2得点を残した。

タイトルや派手な個人記録が残った2年間ではない。それでもリーグ48試合、カップ6試合。短期のお客さんではなく、しっかり試合に出た助っ人だった。

NOW

今どうしてる?

U21 アシスタントコーチ

フェイエノールト・アカデミー。2026-27シーズンのフェイエノールトU21で、アドリー・ポルダーファールト監督、ダビド・トクソペウスとともに指導スタッフを務める。

確認日:2026.07.28公式・関連ページを見る ↗

あれから、スコルテン。

現役を終えたスコルテンは、指導者としてオランダの育成年代へ進んだ。

そして現在も、フェイエノールトのアカデミーにいる。クラブ公式が発表した2026-27シーズンのスタッフ一覧では、U21のアシスタントコーチだ。

1993年に選手としてリーグ優勝したクラブへ戻り、今度は若い選手を育てている。ジェフで見た白髪の4番は、今もフェイエノールトの中にいる。

4番を追ったら、白いソクラテスにたどり着いた

スコルテンはジェフで48試合2得点。数字だけを見れば、マスロバルやラデほど派手ではない。

でも経歴を開くと、クライフのアヤックスで欧州タイトルを獲り、フェイエノールトでリーグ優勝し、欧州王者アヤックスへ戻り、チャンピオンズリーグで決勝点を取っている。

その翌年に市原へ来た。白髪の4番が妙に落ち着いて見えたのは、そりゃそうだという話である。

『スコルテン、いたいた』から始めたはずが、最後はアイブロックスのゴールを何度も見ていた。こういう再発見が、このサイトでやりたかった。

次に読む選手

助っ人外国人選手列伝 #003市原の“気が利く6番”は、PSV三連覇の監督になった。ピーター・ボスの話読む →
参考文献
  1. スコルテン 選手データ ↗

    登録情報、年度別成績、初出場・初得点日

    閲覧日:2026.07.28
  2. 1998 Jリーグ1stステージ第17節 ジェフ市原対横浜マリノス ↗

    背番号4、開始3分のJリーグ初得点

    閲覧日:2026.07.28
  3. 1998 Jリーグ1stステージ第1節 浦和レッズ対ジェフ市原 ↗

    背番号4での先発と過去映像の本人照合

    閲覧日:2026.07.28
  4. Scholten was Man of the Match at Ibrox: 'We were ready for the atmosphere' ↗

    FCデン・ボス時代、アヤックスでのタイトル、フェイエノールトを挟んだ復帰、レンジャーズ戦の決勝点、日本移籍

    閲覧日:2026.07.28
  5. Stem nu op jouw favoriete cultmiddenvelder ↗

    愛称『白いソクラテス』

    閲覧日:2026.07.28
  6. Erfgoed: Van speler tot coach - De jaren ‘80 van Cruijff ↗

    1986年のアヤックス加入とクライフ時代のチーム背景

    閲覧日:2026.07.28
  7. Historie van Feyenoord ↗

    1992・94・95年の国内カップ、1993年のリーグ優勝、当時の中盤メンバー

    閲覧日:2026.07.28
  8. Trainersstaf boven- en middenbouw Feyenoord Academy seizoen 2026-2027 ↗

    2026-27シーズンのフェイエノールトU21アシスタントコーチ

    閲覧日:2026.07.28

本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで公開しています。