助っ人外国人選手列伝 #008

30点で得点王。『オッツェ』は、本当にゴールを量産していた

オッツェ。名前の響きだけでも懐かしい。でも数字を開くと、懐かしさで済ませてはいけない。1994年、40試合30得点。Jリーグ得点王。市原では通算55試合37得点。『よく点を取った』ではなく、本当に量産していた。

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  1. ブレーメンでドイツ王者、ケルンでも主力。西ドイツ代表2試合を持つフォワード。
  2. ジェフでは1993年15試合7得点、1994年40試合30得点。1994年Jリーグ得点王。
  3. 引退後は古巣ブレーメンで育成スカウトへ。ドイツでは『Mach et, Otze!』の本人としても有名。

40試合30得点。もう一度言う。30得点。

1994年のオッツェは、40試合で30点を取った。

8月10日のガンバ大阪戦では20分、35分、67分に決めてハットトリック。得点王は思い出補正ではない。

アーカイブ映像

1994年得点王オッツェのプレーを短く確認できる。

J.League 1994 Season Top Scorer Frank ORDENEWITZ
DATA

基本プロフィール

本名
フランク・オルデネビッツ
原語表記
FRANK ORDENEWITZ
生年月日
1965年3月25日
出身地
ドルフマルク(西ドイツ)
国籍
ドイツ
ポジション
フォワード
身長・体重
Jリーグ登録 180cm・76kg
ジェフでの背番号
11
ジェフでのリーグ成績
J1 55試合37得点

ドイツでは『Mach et, Otze!』の人

ケルン時代、カップ戦の出場停止を巡って意図的に退場しようとした一件から、『やっちまえ、オッツェ』という言葉が残った。

一方、1988年には自分のハンドを審判へ申告してFIFAフェアプレー賞。豪快なのか律儀なのか、人物像まで濃い。

CAREER

クラブ遍歴

年クラブ国・地域当時のカテゴリー/どんなクラブか
1983–1989ヴェルダー・ブレーメン西ドイツブンデスリーガ(1部)
125試合37得点。1987-88シーズンにドイツ王者となった。
1989–19931.FCケルンドイツブンデスリーガ(1部)
126試合30得点。『Mach et, Otze!』が生まれた時期でもある。
1993–1994ジェフユナイテッド市原日本Jリーグ
55試合37得点。1994年は30得点で得点王。
1995ハンブルガーSVドイツブンデスリーガ(1部)
日本から一度ドイツへ戻り、21試合に出場。
1996ブランメル仙台日本旧JFL
再来日し、28試合20得点を記録した。
1997–1998VfBオルデンブルクドイツレギオナルリーガ
ドイツで現役を締めくくった。

1983–1989

ヴェルダー・ブレーメン

西ドイツ

ブンデスリーガ(1部)

125試合37得点。1987-88シーズンにドイツ王者となった。

1989–1993

1.FCケルン

ドイツ

ブンデスリーガ(1部)

126試合30得点。『Mach et, Otze!』が生まれた時期でもある。

1993–1994

ジェフユナイテッド市原

日本

Jリーグ

55試合37得点。1994年は30得点で得点王。

1995

ハンブルガーSV

ドイツ

ブンデスリーガ(1部)

日本から一度ドイツへ戻り、21試合に出場。

1996

ブランメル仙台

日本

旧JFL

再来日し、28試合20得点を記録した。

1997–1998

VfBオルデンブルク

ドイツ

レギオナルリーガ

ドイツで現役を締めくくった。

ドイツでも、ちゃんと有名だった

ブレーメンではドイツ王者。ケルンでも126試合30得点。西ドイツ代表にも2試合出場している。

つまり市原に来た時点で、ブンデスリーガ272試合68得点の実績を持つ選手だった。

JAPAN

日本での年度別成績

年クラブ大会出場得点補足
1993ジェフユナイテッド市原J1157—
1994ジェフユナイテッド市原J14030Jリーグ得点王。8月10日のG大阪戦でハットトリック。
1996ブランメル仙台旧JFL2820—

1993

J1

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
15
得点
7

1994

J1

クラブ
ジェフユナイテッド市原
出場
40
得点
30

Jリーグ得点王。8月10日のG大阪戦でハットトリック。

1996

旧JFL

クラブ
ブランメル仙台
出場
28
得点
20

リティとオッツェと城がいた

1994年のジェフには、リトバルスキー、オッツェ、城彰二がいた。

映像を見返すと、90年代の外国人補強のスケールに笑ってしまう。こんな前線を市原臨海で見られた。

アーカイブ映像

当時のジェフとオッツェを振り返るトーク。

ジェフ市原の全盛期 城、オッツェ、リトバルスキーの時代
NOW

今どうしてる?

育成スカウト

ヴェルダー・ブレーメン。ブレーメン公式は2005年の育成スカウト就任を紹介。2023年のインタビューでも育成チーフスカウトとして活動していると報じられた。

確認日:2026.07.29公式・関連ページを見る ↗

あれから、オッツェ。

日本を離れた後はドイツへ戻り、2005年から古巣ブレーメンの育成スカウトに就いた。

2023年の取材でも育成チーフスカウトとして紹介されている。年間6万キロを走って若い選手を見る仕事だという。

名前も数字も、忘れようがない

55試合37得点。1994年は30得点で得点王。

オッツェは有名すぎるかもしれない。でも数字をもう一度見ると、やっぱり記事にしたくなる。30点である。

次に読む選手

助っ人外国人選手列伝 #009開幕前からいた男。パベルは浦和で3点取り、また日本へ戻ってきた読む →
参考文献
  1. Jリーグ ハットトリック一覧 ↗

    1994年8月10日のG大阪戦ハットトリック

    閲覧日:2026.07.29
  2. Frank Ordenewitz player profile ↗

    ドイツでのクラブ成績、代表歴、タイトル

    閲覧日:2026.07.29
  3. Torschützenkönig, Weltenbummler, Werderaner ↗

    1994年Jリーグ30得点、フェアプレー賞、人物史

    閲覧日:2026.07.29
  4. Mach et! – Frank Ordenewitz wird Nachwuchs-Scout ↗

    2005年の育成スカウト就任

    閲覧日:2026.07.29
  5. Der Spruch begleitet mich bis zu meinem Ende ↗

    2023年時点の育成チーフスカウト、リトバルスキーとの日本時代

    閲覧日:2026.07.29
  6. Frank Ordenewitz career record ↗

    日本を含むクラブ遍歴と年度別成績

    閲覧日:2026.07.29

本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで公開しています。