助っ人外国人選手列伝 #009
開幕前からいた男。パベルは浦和で3点取り、また日本へ戻ってきた
パベルは、Jリーグが始まってから来た助っ人ではない。古河電工の時代からいた。そして1993年、浦和でハットトリック。31試合16得点。開幕のにぎやかさの中で、きっちり仕事をした先住民のような外国人だった。
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- スラヴィア・プラハから1991年に来日。古河電工末期からジェフ市原を知る選手。
- 1993年Jリーグで31試合16得点。6月23日の浦和戦でハットトリック。
- 引退後も日本で神戸を指揮。2026年現在はスラヴィア・プラハのアシスタントコーチ。
Jリーグが始まる前から、もういた。
パベルが日本へ来たのは1991年。まだジェフが古河電工だった時代だ。
華やかな1993年に突然現れたのではない。日本のプロ化を、チームの中から見ていた。
基本プロフィール
- 本名
- パベル・ジェハーク
- 原語表記
- PAVEL ŘEHÁK
- 生年月日
- 1963年10月7日
- 出身地
- プラハ(当時チェコスロバキア)
- 国籍
- チェコ
- ポジション
- フォワード/ミッドフィールダー
- 身長・体重
- Jリーグ登録 178cm・72kg
- ジェフでの背番号
- 11
- ジェフでのリーグ成績
- J1 47試合17得点(JSL時代から在籍)
開幕直後のジェフを、公式映像で見る
ジェフ公式が1993年第2節のヴェルディ戦を短く残している。
画面の色も、スタンドも、選手の距離感も全部が1993年。パベルの記事には、この空気が必要だ。
クラブ遍歴
| 年 | クラブ | 国・地域 | 当時のカテゴリー/どんなクラブか |
|---|---|---|---|
| 1984–1991 | スラヴィア・プラハ | チェコスロバキア | チェコスロバキア1部 プラハの名門で主に中盤を務めた。 |
| 1991–1994 | 古河電工/ジェフユナイテッド市原 | 日本 | JSL1部 → Jリーグ Jリーグ開幕前から在籍。1993年は31試合16得点。 |
| 1995–1996 | 東芝/コンサドーレ札幌 | 日本 | 旧JFL 日本でプレーを続け、1996年はコンサドーレ創設期の一員となった。 |
| 1996–1998 | スラヴィア・プラハ | チェコ | チェコ1部 古巣へ復帰。 |
| 1998–1999 | ペトラ・ドルノヴィツェ | チェコ | チェコ1部 国内1部で現役を続けた。 |
| 1999 | 横浜FC | 日本 | JFL 再び日本へ戻り、現役最後のシーズンを過ごした。 |
1984–1991
スラヴィア・プラハ
チェコスロバキア
チェコスロバキア1部
プラハの名門で主に中盤を務めた。
1991–1994
古河電工/ジェフユナイテッド市原
日本
JSL1部 → Jリーグ
Jリーグ開幕前から在籍。1993年は31試合16得点。
1995–1996
東芝/コンサドーレ札幌
日本
旧JFL
日本でプレーを続け、1996年はコンサドーレ創設期の一員となった。
1996–1998
スラヴィア・プラハ
チェコ
チェコ1部
古巣へ復帰。
1998–1999
ペトラ・ドルノヴィツェ
チェコ
チェコ1部
国内1部で現役を続けた。
1999
横浜FC
日本
JFL
再び日本へ戻り、現役最後のシーズンを過ごした。
札幌、横浜、神戸。何度も日本へ戻った
ジェフを離れた後は東芝/コンサドーレ札幌でプレー。いったんチェコへ戻り、1999年には横浜FCで現役を終えた。
指導者になってからも神戸へ。日本は一度きりの赴任先ではなかった。
日本での年度別成績
| 年 | クラブ | 大会 | 出場 | 得点 | 補足 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1991–92 | 古河電工 | JSL1部 | 22 | 8 | — |
| 1992 | ジェフユナイテッド市原 | ナビスコカップ | 9 | 3 | — |
| 1993 | ジェフユナイテッド市原 | Jリーグ | 31 | 16 | 6月23日の浦和戦でハットトリック。 |
| 1994 | ジェフユナイテッド市原 | Jリーグ | 16 | 1 | — |
1991–92
JSL1部
- クラブ
- 古河電工
- 出場
- 22
- 得点
- 8
1992
ナビスコカップ
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 9
- 得点
- 3
1993
Jリーグ
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 31
- 得点
- 16
6月23日の浦和戦でハットトリック。
1994
Jリーグ
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 16
- 得点
- 1
浦和で、39分、49分、71分。
1993年6月23日、駒場。パベルは浦和レッズを相手に3得点を決めた。
初年度のリーグ成績は31試合16得点。『いたいた』どころか、立派な主力得点源である。
今どうしてる?
あれから、パベル。
現在はスラヴィア・プラハのアシスタントコーチ。クラブ公式のスタッフページに、今も名前がある。
市原、札幌、横浜、神戸を経験した男が、故郷プラハの名門でベンチにいる。
開幕前からいた男は、今も現場にいる
1993年だけを切り取っても31試合16得点、浦和戦でハットトリック。
でもパベルの面白さは、その前から日本にいて、その後も何度も戻ってきたことだ。Jリーグ初期を語るとき、かなり重要な助っ人である。
関連リンク
参考文献
- Pavel Řehák coach profile ↗
全クラブ遍歴、指導歴、現在のアシスタントコーチ
閲覧日:2026.07.29 - Jリーグ ハットトリック一覧 ↗
1993年6月23日浦和戦の3得点
閲覧日:2026.07.29 - Pavel Řehák career statistics ↗
日本での年度別成績
閲覧日:2026.07.29 - Pavel Řehák odlétá do Japonska ↗
日本での長い選手・指導者経験
閲覧日:2026.07.29
本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで公開しています。