助っ人外国人選手列伝 #002
いたいた、この8番。ラデ・ボグダノビッチの濃すぎる半年
名前は短い。在籍も短い。でも数字はやたら濃い。 市原の半年から、代表、マドリード、ドイツ、そして現在まで追ってみた。
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- 旧ユーゴスラビア1部から韓国へ渡り、浦項では公式戦150試合57得点36アシスト。アジアですでに完成された点取り屋だった。
- 1997年のジェフではリーグ16試合8得点、ナビスコカップ6試合8得点。半年ほどで公式戦22試合16得点を残した。
- 6月のユーゴスラビア代表デビューで2得点。市原を離れたあと、9月のアトレティコ・マドリード初戦でも2得点。1997年がとにかく濃い。
登録名は「ラデ」。そう、あの8番である
「ラデ」と聞いて、顔まで一発で浮かぶ人は相当な90年代Jリーグ好きだ。 でも、背番号8、1997年のジェフ市原、ちょっと得点を量産していた外国人—— ここまで並ぶと、「いたいた!」となる人は多いはずだ。
登録名は「ラデ」。
背番号は8。
在籍は半年ほど。
それで公式戦16得点。
短期在籍の助っ人は、記録を調べても「ああ、やっぱり短かったね」で終わることが多い。 ラデは違う。調べるほど、半年しかいなかったことの方がおかしく見えてくる。
まずは、背番号8を見つけてほしい
1997年4月26日、横浜マリノス戦。ラデは背番号8で先発し、72分に先制点を決めた。 相手には川口能活、井原正巳、松田直樹、城彰二。18歳の中村俊輔も途中から出てくる。 90年代Jリーグが一試合に詰まっている。
基本プロフィール
- 本名
- ラデ・ボグダノビッチ
- 原語表記
- Rade Bogdanović/Раде Богдановић
- 生年月日
- 1970年5月21日
- 出身地
- サラエボ
- 出生当時の国
- ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
- ポジション
- フォワード
- 身長・体重
- Jリーグ登録 185cm・85kg/Kリーグ登録 183cm・81kg
- ジェフでの登録名
- ラデ
- ジェフでの背番号
- 8
- 代表歴
- ユーゴスラビア代表 3試合2得点
身長・体重はJリーグとKリーグの公式登録で差があるため、両方を併記した。 日本では「ラデ」の登録名で、公式記録上はMF表記の試合もあるが、本職はフォワードである。
クラブ遍歴
サラエボ、韓国、市原、マドリード、ブレダ、ブレーメン、ビーレフェルト、そしてUAE。 ラデの経歴は、思っていたよりずっと世界を横断している。
| 在籍年 | クラブ | 当時の国・地域 | カテゴリー | どんな時期か |
|---|---|---|---|---|
| 1987–1992 | ジェリェズニチャル・サラエボ | 旧ユーゴスラビア/現在のボスニア・ヘルツェゴビナ | 旧ユーゴスラビア1部 | 故郷サラエボの名門でプロキャリアを始めた。 |
| 1992–1996 | POSCOアトムズ(現・浦項スティーラーズ) | 韓国 | Kリーグ | 公式戦150試合57得点36アシスト。韓国で外国人スターになった。 |
| 1997 | ジェフユナイテッド市原 | 日本 | Jリーグ | 公式戦22試合16得点。背番号8で、在籍は半年ほど。 |
| 1997–1998 | アトレティコ・マドリード | スペイン | ラ・リーガ | リーグ初出場で2得点。リーグ戦14試合6得点。 |
| 1998 | NACブレダ(期限付き移籍) | オランダ | エールディヴィジ | アトレティコから期限付き移籍し、シーズン後半を戦った。 |
| 1998–2002 | ヴェルダー・ブレーメン | ドイツ | ブンデスリーガ | 公式戦74試合19得点。1998–99シーズンのDFBポカールを制した。 |
| 2002–2003 | アルミニア・ビーレフェルト | ドイツ | ブンデスリーガ | 公式戦21試合1得点。 |
| 2003–2004 | UAEのクラブ | アラブ首長国連邦 | 国内リーグ | 最終所属は資料によってアル・ワフダとバニーヤースに分かれるため、クラブ名は継続確認中。 |
1987–1992
ジェリェズニチャル・サラエボ
旧ユーゴスラビア/現在のボスニア・ヘルツェゴビナ
旧ユーゴスラビア1部
故郷サラエボの名門でプロキャリアを始めた。
1992–1996
POSCOアトムズ(現・浦項スティーラーズ)
韓国
Kリーグ
公式戦150試合57得点36アシスト。韓国で外国人スターになった。
1997
ジェフユナイテッド市原
日本
Jリーグ
公式戦22試合16得点。背番号8で、在籍は半年ほど。
1997–1998
アトレティコ・マドリード
スペイン
ラ・リーガ
リーグ初出場で2得点。リーグ戦14試合6得点。
1998
NACブレダ(期限付き移籍)
オランダ
エールディヴィジ
アトレティコから期限付き移籍し、シーズン後半を戦った。
1998–2002
ヴェルダー・ブレーメン
ドイツ
ブンデスリーガ
公式戦74試合19得点。1998–99シーズンのDFBポカールを制した。
2002–2003
アルミニア・ビーレフェルト
ドイツ
ブンデスリーガ
公式戦21試合1得点。
2003–2004
UAEのクラブ
アラブ首長国連邦
国内リーグ
最終所属は資料によってアル・ワフダとバニーヤースに分かれるため、クラブ名は継続確認中。
韓国で、すでに外国人スターだった
ラデは故郷サラエボのジェリェズニチャルでプロになった。 だがユーゴスラビア紛争の時代、キャリアは大きく動く。1992年、韓国のPOSCOアトムズへ渡った。 現在の浦項スティーラーズである。
「韓国でちょっと活躍した選手」ではない。5シーズン積み上げた、リーグを代表する外国人選手だった。 そこから1997年、ジェフ市原へ来た。
ジェフ市原での成績
1年ではない。半年ほどである。リーグとカップを足すと、22試合16得点。 「いたいた!」で済ませるには、ちょっと数字が強すぎる。
| 大会 | 出場 | 得点 | ポイント |
|---|---|---|---|
| Jリーグ | 16 | 8 | 1stステージ全16試合に出場 |
| ナビスコカップ | 6 | 8 | 得点王タイ。平塚戦でハットトリック |
| 公式戦合計 | 22 | 16 | 1試合平均0.73得点 |
Jリーグ
- 出場
- 16試合
- 得点
- 8得点
- ポイント
- 1stステージ全16試合に出場
ナビスコカップ
- 出場
- 6試合
- 得点
- 8得点
- ポイント
- 得点王タイ。平塚戦でハットトリック
公式戦合計
- 出場
- 22試合
- 得点
- 16得点
開始1分。平塚相手にハットトリック
1997年3月22日、市原臨海競技場。ナビスコカップ予選のベルマーレ平塚戦で、 ラデは開始1分に先制。さらに60分、80分にも決めた。
その大会は6試合8得点。エジウソン、バルデス、呂比須ワグナーと並んで得点王だった。 名前の並びが、もう懐かしい。そしてラデは、その4人の中で出場時間が最も短い522分で8点を取っている。
Jリーグ公式のハットトリック記録を見る ↗1997年が、ちょっと濃すぎる
ここからがラデの記事で一番おもしろいところだ。 1997年6月、ジェフでプレーしていたラデはユーゴスラビア代表に初招集された。
代表通算は3試合2得点。つまり代表で取った2点は、デビュー戦の2点である。 そして夏、市原を離れて向かった先がアトレティコ・マドリードだった。
市原の次は、アトレティコ。しかも初戦で2点
1997年9月6日、ヴィセンテ・カルデロン。ラ・リーガ第2節のバリャドリード戦で、 ラデはアトレティコのリーグ戦に初出場した。
結果は5対0。ラデは前半に2得点。 ジェフで半年16点、代表デビューで2点、アトレティコのリーグ初戦でも2点。 1997年のラデは、初対面の場所でいきなり点を取る。
アトレティコにはクリスティアン・ヴィエリ、キコ、ジュニーニョ、パンティッチらがいた。 ラデはリーグ14試合6得点。UEFAカップのPAOK戦でもゴールを決めている。
その後はドイツへ。カップ決勝のPKも決めた
オランダのNACブレダを経て、1998年にヴェルダー・ブレーメンへ。 DFB公式では、ブレーメンで公式戦74試合19得点。 1998–99シーズンにはDFBポカールを制した。
決勝はバイエルン・ミュンヘン戦。ラデは途中出場し、PK戦ではブレーメンの2人目として成功している。 あの短期在籍の8番が、翌々年にはバイエルン相手のカップ決勝でPKを蹴っていた。
その後はアルミニア・ビーレフェルトへ移り、最後はUAEでプレーしたとされる。 ただし最終所属は資料によってアル・ワフダとバニーヤースに分かれるため、ここは断定しない。
あれから、ラデ。
では、今は何をしているのか。調べてみると、ラデはセルビア公共放送RTSのサッカー番組に、 専門解説者としてたびたび出演している。
かなり率直にものを言うタイプのようで、代表監督や選手へのコメントがそのまま見出しになる。 2026年7月20日にも、ワールドカップを振り返る専門家として出演した記事が公開されている。
RTSで現在のラデを見る ↗半年なのに、話が多すぎる
浦項で150試合57得点。ジェフで22試合16得点。ナビスコカップ得点王。 代表デビューで2得点。アトレティコ初戦で2得点。ブレーメンではDFBポカール優勝。
ラデがジェフにいたのは、1997年の半年ほどしかない。 だからこそ「いたいた!」で記憶の奥から出てくる。でも、掘ってみたら、とても半年分の話ではなかった。
名前は「ラデ」の4文字。経歴はまったく4文字で収まらない。
関連リンク
参考文献
- K LEAGUE 選手情報「라데 / Rade Bogdanovic」 ↗
浦項時代の大会別・年度別成績、身体データ
閲覧日:2026年7月27日 - Jリーグ公式 通算出場記録・試合記録 ↗
1997年リーグ戦16試合、初出場日
閲覧日:2026年7月27日 - Jリーグ公式 1997年リーグカップ得点ランキング ↗
6試合8得点、得点ランキング1位タイ
閲覧日:2026年7月27日 - Jリーグ公式 ハットトリック一覧 ↗
1997年3月22日平塚戦の3得点と得点時間
閲覧日:2026年7月27日 - Rade Bogdanovic — Spielerprofil ↗
ブレーメン、ビーレフェルトでの公式戦成績とDFBポカール優勝
閲覧日:2026年7月27日 - El Atlético se sale ↗
アトレティコでのリーグ初出場とバリャドリード戦2得点
閲覧日:2026年7月27日 - Rade Bogdanović — reprezentacija.rs ↗
クラブ遍歴、代表3試合2得点
閲覧日:2026年7月27日 - Rade Bogdanović タグページ ↗
2026年7月時点の専門解説者としての出演
閲覧日:2026年7月27日 - Rade Bogdanovic apologises for racist World Cup comments ↗
2026年W杯中継での差別的発言と本人・RTSの謝罪
閲覧日:2026年7月27日
本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで構成しています。