助っ人外国人選手列伝 #016
1990年の世界王者が、市原臨海で10番を着ていた。リトバルスキー
1990年ワールドカップ決勝の先発が、3年後に市原臨海で10番を着ていた。リトバルスキー。Jリーグ初期はスターが多かった、と一言で済ませがちだが、改めて考えるとやっぱりおかしい。世界王者が普通にジェフの中盤にいる。
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- 1.FCケルンで長く活躍し、西ドイツ代表73試合18得点。1990年W杯優勝、決勝にも先発。
- 1993年からジェフ市原でJ1 63試合10得点。開幕年は35試合9得点。
- 引退後も日本やドイツで指導・強化に携わり、2026年も解説やイベントで元気な姿を見せている。
1990年W杯決勝の先発が、3年後に市原へ
リトバルスキーは1990年ワールドカップ決勝に先発し、西ドイツの世界一をピッチで経験した。
その3年後、Jリーグ開幕年のジェフ市原で10番を着けた。時間の流れが少しおかしい。
基本プロフィール
- 本名
- ピエール・リトバルスキー
- 原語表記
- PIERRE LITTBARSKI
- 生年月日
- 1960年4月16日
- 出身地
- 西ベルリン
- 国籍
- ドイツ
- ポジション
- 攻撃的ミッドフィールダー/ウイング
- 身長・体重
- Jリーグ登録 168cm・64kg
- ジェフでの背番号
- 10
- ジェフでのリーグ成績
- J1 63試合10得点
まずは、このドリブルを見てほしい
小柄な体で細かく触り、相手の重心を外し、そのままゴールへ。
25秒の映像で十分に分かる。『世界王者』という肩書より先に、サッカーがうまい。
クラブ遍歴
| 年 | クラブ | 国・地域 | 当時のカテゴリー/どんなクラブか |
|---|---|---|---|
| 1978–1986 | 1.FCケルン | 西ドイツ | ブンデスリーガ(1部) 小柄なドリブラーとしてクラブと代表の中心になった。 |
| 1986–1987 | ラシン・クラブ・ド・パリ | フランス | ディヴィジオン1 フランスで1シーズンを過ごした。 |
| 1987–1993 | 1.FCケルン | 西ドイツ/ドイツ | ブンデスリーガ(1部) ケルンへ復帰。1990年には西ドイツ代表として世界王者になった。 |
| 1993–1994 | ジェフユナイテッド市原 | 日本 | Jリーグ 背番号10。63試合10得点。Jリーグ開幕年の顔の一人。 |
| 1996–1997 | ブランメル仙台 | 日本 | 旧JFL 選手兼指導者として日本へ戻り、現役を終えた。 |
1978–1986
1.FCケルン
西ドイツ
ブンデスリーガ(1部)
小柄なドリブラーとしてクラブと代表の中心になった。
1986–1987
ラシン・クラブ・ド・パリ
フランス
ディヴィジオン1
フランスで1シーズンを過ごした。
1987–1993
1.FCケルン
西ドイツ/ドイツ
ブンデスリーガ(1部)
ケルンへ復帰。1990年には西ドイツ代表として世界王者になった。
1993–1994
ジェフユナイテッド市原
日本
Jリーグ
背番号10。63試合10得点。Jリーグ開幕年の顔の一人。
1996–1997
ブランメル仙台
日本
旧JFL
選手兼指導者として日本へ戻り、現役を終えた。
ケルンの象徴が、そのまま日本へ来た
1.FCケルンで長く活躍し、西ドイツ代表73試合18得点。
W杯は1982年、86年、90年の3大会。最後に優勝してから日本へ来た。経歴を知るほど、当時のJリーグの熱量が分かる。
日本での年度別成績
| 年 | クラブ | 大会 | 出場 | 得点 | 補足 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1993 | ジェフユナイテッド市原 | J1 | 35 | 9 | — |
| 1993 | ジェフユナイテッド市原 | リーグカップ | 6 | 0 | — |
| 1994 | ジェフユナイテッド市原 | J1 | 28 | 1 | — |
| 1994 | ジェフユナイテッド市原 | リーグカップ | 2 | 0 | — |
1993
J1
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 35
- 得点
- 9
1993
リーグカップ
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 6
- 得点
- 0
1994
J1
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 28
- 得点
- 1
1994
リーグカップ
- クラブ
- ジェフユナイテッド市原
- 出場
- 2
- 得点
- 0
開幕年35試合9得点
1993年は35試合9得点。翌年も28試合に出場した。
スターの顔見せではない。2シーズンで63試合。Jリーグの最初期を、きちんとプレーした。
今どうしてる?
VfLヴォルフスブルク。2023年に常勤の職務を離れた後も、必要に応じてブランドアンバサダーとして協力するとクラブが発表。2026年もメディア出演を続けている。
確認日:2026.07.29公式・関連ページを見る ↗あれから、リトバルスキー。
引退後は日本、オーストラリア、欧州で監督や強化担当を歴任。2010年から13年間はヴォルフスブルクで働いた。
2023年に常勤を離れた後も必要に応じてアンバサダーとして協力。2026年も解説やイベントに登場し、ジェフOB企画にも顔を見せている。
世界王者がいた。それを当たり前に見ていた
63試合10得点。市原臨海の10番。
1993年を知る人には有名すぎる。でも『1990年W杯決勝の先発が、3年後ここにいた』と置き直すと、もう一度驚ける。Jリーグ初期は本当にすごかった。
関連リンク
参考文献
- リトバルスキー 選手データ ↗
登録情報、1993・94年の年度別成績
閲覧日:2026.07.29 - VfL Brand Ambassador ↗
2018年のブランドアンバサダー就任と過去の職務
閲覧日:2026.07.29 - Nach 13 Jahren ↗
2023年の常勤退職と今後のアンバサダー協力
閲覧日:2026.07.29 - Pierre Littbarski career record ↗
ケルン、代表、日本での全クラブ遍歴
閲覧日:2026.07.29 - Littbarski über den Wolfsburg-Abstieg ↗
2026年5月のメディア出演
閲覧日:2026.07.29
本記事は公開情報の収集と整理にAIを使用し、情報源と内容を確認したうえで公開しています。